いい子ばかりか集まっている

行動に現われないだけで、批判、不満からそうした時期をもたないとしたら、空恐しい。反抗期とはなにか、前にも書いたが、親に反抗し、許しがたく思う時期。それは、親や社会や既成の権威と戦い、新しいものをつくろうというエネルギーに支えられている。不満が内蔵されているならまだしも、社会に批判の目をもち、それらを乗り越えて、そうしたエネルギーのない10代が増えたとした無気力、人の言いなり、もやしっ子、あるいはカイワレ族が育っているとしたら今後新しいエネルギーは望めないことになってしまう。親には素直、先生には従順で、いわゆるいい子ばかりか集まっているところからは、なにも育たない。現代のシビアな受験体制が、そうした子供たち、自分でものを考えず、何でも〇×で判断し、暗記と選択だけが得意な子を生んでいるとしたら…。

疑問をぶつける学生

しかし私はそうは考えたくない。仕事柄、高校や大学に講演に行くことも多いのだが、私の言うことに反発したり、疑問をぶつける学生がいるとほっとする。静かにおとなしく聞いているだけで、なんの反応もないのは不気味だ。友人の大学教授が言っていた。「最近の学生は、成績はいいし、よく社会人 出会いがない する。講義も静かに聞くが、反応がなく、なにを考えているのか判断に苦しむ」けれど、一人一人と会ってみると決してそうではない。悩みや、どこへぶつけていいか分からぬ欲求不満を抱えもっていて、私の学生の頃とそう変わっているとは思えないのだが…。ただ、マスハ集団になると従順で没個性的になってしまう。例えば成人式、女性はみんな同じような振袖を着て、まるで制服のよう。みんなが振袖なら、あえて個性的な洋服にするとか、袴にするとか考えればいいと思うのだが、みんなと同じようにすることのほうを選んでしまう。同じように、大学の卒業式というと、みんな大正時代のような袴姿、私も袴をはいたが、当時は誰もはいている人がいないからはいていったのだ。「許せない」ハンパでなかった私の態度。私自身は、子供の時から体が弱く、そのために過保護に育ったが、父や母への反抗期ははんぱではなかった。私の父は軍人であり、その権威を家でももっていて、口答えは許さず、かなり厳しかった。

父とは口をきかなくなった

戦後、軍人をやめてからもどうしても保守的な考えに陥りがちで、私はそうした考えに反発し、自分の思いをどんなに父にぶつけたかわからない。そんな時カッとなると、手が先に飛んでくることもあり、だんだん私は父とは口をきかなくなった。